バスケットが終わったあと。打ち込めるものを失った私が、パソコンに興味を持ち始めた頃
中学生の頃の私にとって、バスケットは生活の中心でした。
放課後になれば体育館へ行き、練習をして、汗をかいて、家に帰る。
休みの日にも練習や試合があり、思い出はバスケットのことばかりです。
勉強が得意ではなかった私にとって、バスケットは自分が頑張れる場所だったのだと思います。
もちろん、練習は本当にきつかったです。何度も「もう無理」と思いましたし、体力的に限界だと感じることもありました。
それでも、昨日より少し動けた気がする。前よりもボールが扱えるようになった気がする。そんな小さな変化が、当時の私にはとても嬉しかったです。
だからこそ、バスケットに打ち込んでいる時間は、自分の中でとても大きなものでした。
- 生活の中心
- 学校が終われば体育館へ行くのが当たり前でした。
- 頑張れる場所
- 勉強では自信が持てなくても、バスケットでは少しずつ成長を感じられました。
- 仲間との時間
- 一緒に走って、声を出して、同じ目標に向かう時間が好きでした。
- 自分の土台
- しんどいときに、もう少し頑張る感覚を覚えた場所でした。
一生懸命やっていても、終わりは来る
どれだけ一生懸命やっていても、試合には勝ち負けがあります。
私たちは全国優勝をするようなチームではなかったので、当然どこかで負ける日が来ます。
実際に負けてしまったときの気持ちは、思っていた以上に大きなものでした。
それまで当たり前のように続いていた部活の日々が、ある日を境に終わってしまう。
毎日行っていた体育館も、一緒に走っていた仲間も、試合前の緊張感も、急に遠くなってしまいました。
- 毎日聞いていたボールの音
- 体育館に入ったときの空気
- 試合前の緊張感
- 練習後の疲れた体
- 仲間と声を出していた時間
負けたこと自体も悔しかったです。
ただ、それ以上に「もうこの時間は戻ってこないんだ」と感じたことが、すごく寂しかったです。
打ち込めるものがなくなってしまった感覚
それまでの私はバスケットを頑張っていれば良かったのです。
- 上手くなりたい
- 試合に出たい
- チームの役に立ちたい
- 次はもっと動けるようになりたい
分かりやすい目標がありました。
しかし、試合に負けて部活が一区切りついたあとは、急に何を頑張ればいいのか分からなくなりました。
中学生なので受験があります。
受験勉強をしなければいけないことも分かっていました。
周りも少しずつ勉強モードになっていきます。
私の中ではなかなか気持ちが切り替わりませんでした。
バスケットで感じていたような熱量を、受験勉強に向けることができなかったのです。
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勉強しなきゃいけないのは分かっているのに、気持ちがついてこない。バスケットが大好きだったのです。
机に向かっていても、どこかぼんやりしてしまう。
やらなければいけないことはあるのに、部活をしていた頃のように夢中にはなれませんでした。
毎日のように打ち込んでいたものが終わってしまって、自分の中にぽっかり穴が空いたような感じでした。
家にあったデスクトップパソコン
そんな時期に、少しずつ興味を持ち始めたものがありました。
それが家にあったデスクトップパソコンです。
今のようにスマホが当たり前にある時代ではありません。
分からないことがあれば、すぐにスマホで検索できるような環境でもありませんでした。
家にあるパソコンは、私にとって少し特別な存在でした。
最初は、何ができるのかもよく分かっていませんでした。
ただ、画面の中に自分の知らない世界が広がっているような感じがして、なんとなく気になっていたのを覚えています。
- キーボードを打つこと
- マウスを動かすこと
- 画面の中で何かが開くこと
- 知らない情報に触れられること
- 自分で操作すると画面が変わること
今では当たり前の操作ですが、当時の私にはそれだけでも新鮮でした。
バスケットと違う世界です。
体育館で走ることもありません。
汗をかくこともありません。
誰かと競うわけでもありません。
パソコンの前にいると、不思議と時間が過ぎるのが早く感じました。
体を動かす世界から、画面の中の世界へ
バスケットは、とても分かりやすい世界でした。
- 走れば息が切れる
- 練習すれば体が疲れる
- シュートが入れば嬉しい
- 試合に負ければ悔しい
体で感じることが多い世界だったと思います。
自分が何かを操作すると、画面の中が変わる。
知らなかったことを調べると、新しい情報が出てくる。
少し分かるようになると、また別のことが気になってくる。
体を使って覚えるバスケットとは違う楽しさでした。
最初から「将来はパソコンを使った仕事がしたい」と思っていたわけではありません。
具体的なことまでは考えていなかったと思います。
ただ、バスケットが終わってしまって、打ち込めるものを失っていた私にとって、パソコンは新しく興味を持てるものになっていきました。
少し触ってみる。
分からないなりに試してみる。
そんなことをしているうちに、少しずつコンピューターの世界に引き込まれていきました。
夢中になれるものは、形を変えて現れる
当時の私は、バスケットが終わったことで、自分の中の大きなものを失ったような気持ちになっていました。
あれだけ一生懸命やっていたものが終わってしまったあと、何に向かえばいいのか分からなかったのだと思います。
受験勉強も大事だと分かっていました。
でも、バスケットの喪失感を埋めるほど、そこに打ち込むことはできませんでした。
そんな中で出会ったのが、家にあったデスクトップパソコンでした。
今思えば、それが私にとって、次の興味の入口だったのかもしれません。
バスケットのように体を動かすものではありません。仲間と声を出して走るものでもありません。
その感覚は、バスケットで少しずつ上手くなっていったときの気持ちと、どこか似ていたのかもしれません。
最初は軽い興味でした。
でも、その小さな興味が、少しずつ自分の中で大きくなっていきました。
今につながっていると思うこと
今、私はAdobe系のことやプログラミング関連のことをしています。
中学生の頃にバスケットに打ち込んだこと。負けてしまって、ぽっかり穴が空いたような気持ちになったこと。そのあと、家にあったデスクトップパソコンに興味を持ったこと。
一つひとつは、そのときには深く考えていなかった出来事です。
でも振り返ってみると、ちゃんと今につながっている気がします。
何かが終わったあとには、何も残らないわけではないのだと思います。
終わったからこそ、次に目を向けられることもあります。
私にとって、バスケットが終わったあとのパソコンとの出会いは、そんな出来事でした。